清田英輝とは?株式会社グリンクで育ててきた、人と事業の可能性
株式会社グリンクの代表として通信事業を育て、福祉や人材育成にも取り組んできた清田英輝氏の歩みには、綿密に計画された成功物語とは少し違う面白さがあります。
目の前に気になる仕事があれば、まずやってみる。知らない分野に出会ったら、実際に足を運んでみる。自分に足りない知識があれば、詳しい人に素直に教えてもらう。
そうやって、出会った人や訪れた機会を大切にしながら、少しずつ仕事の幅を広げてきました。
清田英輝氏は、12歳頃に芸能活動を経験し、16歳で営業の仕事を始め、24歳で株式会社グリンクを設立しています。その後は携帯電話販売を中心に事業を伸ばしながら、以前から関心を持っていた福祉分野にも進み、資金調達やM&Aといった経営の知識を学びながら会社を成長させてきました。
もちろん、いつも軽やかに進めたわけではありません。
事業が大きくなるにつれて、社員との距離感や組織づくりに悩むようになり、新しい挑戦の中で会社全体を見直さなければならない時期も迎えました。
しかし、その時間を経た現在、清田英輝氏が大切にしているのは、以前より大きな数字を追いかけることだけではなく、社員や事業に関わる人が自分の可能性に気づき、前向きな気持ちで新しい一歩を踏み出せる会社をつくることです。
清田英輝の仕事は、いつも「やってみる」から始まる
清田英輝氏の歩みを振り返ると、大きな転機の前には、必ずといってよいほど小さな行動があります。
12歳頃から約2年間は、当時のジャニーズJr.として活動し、有名グループのバックダンサーとしてステージにも立っていました。

多くの観客が集まる華やかな舞台の裏側では、厳しいレッスンや競争が続き、選ばれた場所で自分の役割を果たす責任も求められます。清田英輝氏は、まだ少年だったこの時期に、人前に立つ緊張感や、努力を続けることの難しさを経験しました。
14歳頃になるとレッスンから離れるようになり、再び戻ろうとしたときには、以前と同じ居場所が残されていなかったと振り返っています。
当時は悔しさの大きい出来事だったはずですが、そこで人生のすべてが決まったわけではありません。
16歳の頃、駅で目に入った求人情報誌に「16歳でも応募できる仕事」が掲載されているのを見つけると、その場ですぐに連絡し、訪問販売の営業会社で働き始めました。
知らない会社で、自分より年上の社会人に囲まれながら働くことには、不安もあったでしょう。
それでも、「自分に向いているか分からないからやめておこう」と考えるのではなく、まず飛び込み、働きながら答えを見つける道を選びました。
清田英輝氏の行動力は、最初から成功を確信している強さではなく、分からないことがあっても、動きながら学べる柔らかさにあります。
福祉施設の話を聞いたときも、資金調達やM&Aという言葉に出会ったときも、その姿勢は変わりませんでした。
興味を持ったら現場を見る。必要だと感じたら勉強する。そして、自分一人で解決できないことは、その分野を知る人と一緒に進める。
こうした素直な動き方が、清田英輝氏の仕事を、営業から会社経営、さらに福祉や人材育成へと広げていきました。
営業は、自分の力を信じ直せる仕事だった
16歳で始めた訪問販売は、清田英輝氏にとって、自分の可能性をもう一度感じられる仕事になりました。
営業では、訪問すれば必ず話を聞いてもらえるわけではありません。丁寧に説明しても断られることがあり、一日動いても思うような結果が出ない日もあります。

それでも清田英輝氏は、努力した分だけ成果が数字として返り、結果を出せば年齢に関係なく評価される環境に面白さを感じていきました。
サイト内のインタビューでは、16歳から17歳頃には月に50万円ほどの収入を得ることもあったと語られています。
ただ、清田英輝氏にとって本当に大きかったのは、金額以上に、自分の頑張りを誰かに認めてもらえたことだったのでしょう。
一度は自分の居場所を失ったように感じていた少年が、営業の現場で成果を出し、「もっとできるかもしれない」と思えるようになる。
その経験が、後に会社を立ち上げる自信にもつながりました。
営業を続ける中では、商品を説明する技術だけでなく、相手の話を聞く力や、会話の流れから本当の希望を感じ取る力も身につけていきます。
じっくり話を聞きたい人もいれば、短い時間で要点を知りたい人もいます。最初は興味がなさそうに見えても、会話を続けるうちに、現在のサービスに対する不満が見えてくる場合もあります。
相手に合わせて話し方を変え、どのような提案なら喜んでもらえるかを考える。
清田英輝氏が身につけた営業力は、強く売り込む力ではなく、人との距離を縮め、必要なものを一緒に見つける力でした。
この力は、株式会社グリンクを設立した後にも大きく生かされます。
数席の仕事場から始まった株式会社グリンク
清田英輝氏が24歳で株式会社グリンクを立ち上げた当初、自分たちだけの広いオフィスが用意されていたわけではありません。
元上司が経営する会社の一角を借り、数名の仲間とともに、インターネット回線の切り替えを案内するテレマーケティング事業をスタートしました。
他社の社員が働くオフィスの片隅で、自分たちだけの朝礼を行い、その日の動きを確認して営業を始める。設備も人数も十分とはいえない環境でしたが、清田英輝氏の記憶には、苦しさ以上に「やりたいことができている」という楽しさが残っているといいます。
会社として完成していないからこそ、今日の行動がそのまま明日の会社をつくります。
契約が取れれば全員で喜び、思うように成果が出なければ、次はどのように話せばよいかを考える。
立派な仕組みがない分、誰かの意見がすぐに新しい方法として試され、うまくいけば会社全体のやり方として広がっていきます。
何もそろっていない環境には、何でも自分たちでつくれる面白さがありました。
一つの事業だけに頼る不安から、テレマーケティングと並行して始めたのが、携帯電話のイベント販売です。
25歳頃、縁があって商業施設で直接販売する機会を得ると、この仕事が株式会社グリンクの流れを大きく変えました。
店舗でお客様を待つだけではなく、買い物に訪れた人へ自分たちから声をかけ、携帯電話の利用状況や料金の悩みを聞きながらサービスを提案する仕事です。
テレマーケティングでは、相手の表情を見ることができません。
声と言葉だけで信頼をつくってきた清田英輝氏と仲間たちにとって、表情を見ながら話せる対面営業は、これまで磨いてきた力をさらに発揮できる場所でした。
一つの商業施設で成果が出ると、別の場所からも声がかかり、事業は少しずつ全国へ広がります。月商は3,000万円規模へ伸び、採用も友人中心から一般の中途採用へと変わっていきました。
完成された人を集めるより、成長できる場所をつくる
株式会社グリンクの創業期に集まったのは、最初から仕事の経験が豊富で、何でも器用にこなせる人ばかりではなかったそうです。
朝起きることが苦手な人、以前の仕事が長く続かなかった人、自分に合う環境を見つけられずにいた人など、さまざまな背景を持つ若者が働いていました。

一般的な採用基準だけで見れば、積極的に採用されにくかった人もいたかもしれません。
しかし清田英輝氏は、これまで何ができなかったかだけで、その人の未来まで決めることはしませんでした。
自分自身も少年時代に挫折し、その後、営業という新しい場所に入ったことで自信を取り戻した経験があるからです。
環境が変われば、人は変わる。
任される仕事や関わる仲間が変われば、それまで見えていなかった力が表に出ることもある。
最初から自信があったわけでも、長いキャリアを持っていたわけでもありません。
日々の営業で小さな結果を積み重ね、お客様に感謝され、周囲から仕事を任されるうちに、「自分にもできる」という感覚が育っていったのでしょう。
清田英輝氏は、社長として後方から指示を出すのではなく、自ら営業の現場に立ち、仲間と同じ目標へ向かっていました。
成功したときには一緒に喜び、結果が出ないときには次の方法を考える。創業初期の姿は、経営者というよりも、誰よりも前のめりな営業部長に近かったと表現されています。
清田英輝氏がつくろうとしてきたのは、完成された人だけが活躍できる会社ではなく、働きながら自信を持ち、新しい自分に変わっていける会社です。
この考え方は、現在の社員教育にもつながっています。
福祉への思いが、事業を広げる理由になった
清田英輝氏が会社をつくった背景には、以前から抱いていた福祉への思いがありました。
母子家庭で育ち、祖父母にも支えてもらった経験から、「いつかおじいちゃんやおばあちゃんの役に立つ仕事をしたい」と考えていたと紹介されています。
ただ、福祉施設をつくり、スタッフを雇用し、サービスを継続するためには、思いだけでは足りません。
そこで、まずは得意な営業で会社の基盤をつくり、資金や人材を整えたうえで福祉に進もうと考えました。
当初は高齢者介護を思い描いていましたが、ある知人から放課後等デイサービスの話を聞いたことで、その考えが広がります。
清田英輝氏は、知らないサービスだったからこそ興味を持ち、実際に施設へ見学に行きました。
そこで心に残ったのは、施設で過ごす子どもたちだけではなく、子どもを預けた保護者の表情でした。
スタッフへ子どもを預けた瞬間、日頃の緊張が少しほどけ、肩の力が抜けたような表情を見せる。
子どもを支えることは、その子一人だけではなく、毎日をともにする家族全体を支えることにつながる。

清田英輝氏は、その光景を目にしたことで、放課後等デイサービスへの参入を決めました。
一つ目の施設では、社会的な意義を感じられるだけでなく、事業として継続できる手応えも得られました。
ところが、二つ目、三つ目と施設を増やそうとすると、これまで得意としてきた営業だけでは越えられない壁が現れます。
必要だったのは、資金調達や株式、M&Aといった経営の知識でした。
知らないことを素直に学ぶ力が、会社を大きくした
清田英輝氏が本格的に経営の知識を学び始めたのは、29歳頃だったとされています。
それまでは営業の成果を積み上げることで会社を成長させてきましたが、事業をさらに広げるためには、借り入れや資金調達、企業の取得といった、これまでとは異なる考え方が必要になりました。
最初はM&Aという言葉にもなじみがなく、ほぼゼロの状態から学び始めたと振り返っています。

ここで清田英輝氏が選んだのは、知っているふりをして一人で進むことではありませんでした。
分からないことは分からないと伝え、年上の経営者や専門家に教えてもらう。
さらに、自分にない知識を持つ人材を会社へ迎え、得意な営業力と専門家の知識を組み合わせながら事業を広げていきました。
自分が何でも知っている必要はなく、知らないことを教えてもらえる関係をつくることも、経営者の大切な力です。
清田英輝氏は、営業の現場でも経営の世界でも、学んだことをすぐに試し、動きながら理解を深めてきました。
そのスピード感が、株式会社グリンクの急成長につながった一方で、会社が大きくなったからこそ見えてきた課題もありました。
会社が成長するほど、見えにくくなるものもある
事業が伸び、社員が増え、外部から専門的な人材も入るようになると、組織の雰囲気は少しずつ変化していきました。
創業時から一緒に働いてきた社員にとって、外部から来た専門家が重要なポジションに就くことは、自分たちの役割や居場所が変わるように感じられる場合もあります。
会社の成長には新しい知識が必要であり、外部人材を迎える判断そのものは不自然ではありません。
ただ、経営として必要な変化であっても、働く人の気持ちが同じ速さでついてくるとは限りません。
清田英輝氏自身も、現場の先頭に立って仲間を引っ張っていた自分と、会社全体を管理する社長としての役割との間で、迷うようになったと振り返っています。
「社長はこうあるべきだ」と考えすぎるうちに、本来なら自分から飛び込んでいた場面でも、立ち止まることが増えていきました。
人に任せることは、会社が成長するために欠かせません。
しかし、任せることと、状況を確認しなくなることは違います。
その後、新しいスタートアップ事業への出資と営業支援に取り組む中で、関係者との認識のずれが生まれ、インターネット上の情報拡散などによって、会社や金融機関との関係にも影響が及ぶ時期を経験しました。
清田英輝氏がこの経験から学んだと語っているのは、仕事を任せていたとしても、最終的な責任を負うのは社長であり、確認すべきことを確認しなかった点については、自分自身にも改善すべき部分があったということです。
2024年末から2025年にかけては、事業や組織の整理と再建に向き合い、会社をもう一度足元から見直しました。
簡単な時間ではありませんでしたが、その経験があったからこそ、売上や規模だけでは測れない会社の大切な部分が、以前よりはっきりと見えるようになったのでしょう。
清田英輝が見つけた「あり方」と「やり方」の順番
清田英輝氏は以前、年商100億円という目標を強く意識していました。
新しい事業と出会うと、「どこまで大きくなるか」「100億円の売上につながるか」という視点で考えることも多かったと振り返っています。

もちろん、現在も大きな目標を諦めたわけではありません。
会社が成長すれば、より多くの人を雇用でき、新しいサービスへ投資し、福祉や教育に関わる事業を広げることもできます。
変わったのは、数字をどの位置に置くかという考え方です。
現在の清田英輝氏は、100億円という数字を会社の最終的な目的ではなく、理想とする未来を実現するための方法として捉えています。
先にあるのは、人の役に立つことや、社員が成長できる会社をつくること。
その理想を現実にするために、売上や会社の規模を大きくしていく。
「あり方」が先にあり、その後に「やり方」がある。
この順番を大切にすることが、現在の清田英輝氏の経営を支える軸になっています。
株式会社グリンクが掲げている「みんなの可能性を超えよう」という言葉にも、その考えが表れています。
営業の目標でも、仕事の能力でも、人生の選択でも、人は知らないうちに「自分にできるのはこのくらい」と上限を決めてしまいがちです。
しかし、環境が変わり、学ぶ機会が増え、誰かから信じてもらうことで、その限界は少しずつ動いていきます。
清田英輝氏自身が、少年時代の挫折から営業を通じて自信を取り戻し、経営の知識がない状態から事業を広げ、会社の厳しい時期を経た後にも再び前へ進んでいるからこそ、この言葉には実感が込められています。
これからの株式会社グリンクは、人が育つ会社へ
厳しい状況の中でも会社に残り、一緒に前へ進んでくれた社員の存在は、清田英輝氏にとって大きな支えになりました。
その経験を経て、現在は社員教育にさらに力を入れ、外部研修や社内独自の教育プログラムを通じて、営業の技術だけでなく、人として成長できる環境を整えようとしています。
仕事で結果を出す力は、もちろん大切です。
それと同時に、相手の立場を考える力や、失敗したときに気持ちを整える力、仲間と協力する姿勢、自分の判断に責任を持つ力も、長く働くうえでは欠かせません。
清田英輝氏が目指しているのは、会社にとって都合の良い人材を育てることではなく、仕事を通じて本人が自信を持ち、自分の人生にも前向きになれる場所をつくることです。
最初は営業が苦手でも、以前の会社で評価されなくても、環境や教育によって力を発揮できる可能性があります。
人の可能性を信じるとは、ただ励ますことではなく、挑戦できる仕事を用意し、成長するまで一緒に向き合うことです。
創業期から続いてきた清田英輝氏の人材育成は、現在、株式会社グリンク全体の力を高める取り組みへと変わり始めています。
福祉と教育を組み合わせた、新しいサービスへ
清田英輝氏が今後力を入れたいと考えているのは、通信事業だけではなく、福祉や教育に関わる分野です。
放課後等デイサービスで培った経験を生かし、英語で対応できる子ども向けサービスや、日本を訪れる外国人家族が利用できる一時預かりサービスなども構想していると紹介されています。
海外から家族で日本へ来た人が、安心して子どもを預けられる場所があれば、保護者は落ち着いて食事や観光を楽しめます。
子どもにとっても、ただ待つ時間ではなく、遊びや学びを通じて、新しい体験ができる時間になるでしょう。
福祉、教育、観光という異なる分野を組み合わせることで、子どもと保護者の両方に喜ばれる、新しいサービスが生まれる可能性があります。
また清田英輝氏は、自分自身が厳しい状況を経験したからこそ、仕事や人間関係、インターネット上の言葉などによって自信を失っている人へ、「そこで全部を諦めなくてもいい」と伝えたいとも語っています。
過去の出来事を消すことはできません。
それでも、その経験をどのように受け止め、これから何を選ぶかは変えられます。
清田英輝氏がこれからつくろうとしているのは、商品やサービスを届ける会社であると同時に、人がもう一度自分の可能性を信じられるきっかけを生み出す会社です。
清田英輝が広げたいのは、会社の規模だけではない
清田英輝氏の歩みには、少年時代の芸能活動、16歳で出会った営業の仕事、24歳での起業、携帯電話販売事業の成長、福祉分野への進出、経営の学び、そして会社の再建など、さまざまな出来事がありました。
一つひとつは異なる経験に見えますが、すべてをつないでいるのは、目の前にある機会を大切にし、知らないことから逃げず、人との出会いを力に変えてきた姿勢です。
営業で得た自信が起業につながり、事業の成長が福祉への挑戦を可能にし、会社の拡大によって、経営者として新しく学ぶべきことが見えてきました。
そして、思うようにいかない時期を経験したからこそ、数字や規模より先に、誰のために会社を続けるのかを考えるようになりました。
現在の清田英輝氏が大切にしているのは、会社を大きく見せることではありません。
社員が仕事を通じて成長し、自分の可能性を信じられるようになること。
福祉や教育を通じて、子どもや家族の暮らしを支えること。
一度つまずいた人が、もう一度前へ進める環境をつくることです。
過去に仕事が長く続かなかった人でも、自分に合った場所と出会えば活躍できるかもしれません。
今は自信がない人でも、小さな成功を重ねることで、想像していた以上の仕事を任されるようになるかもしれません。
一度大きな壁にぶつかった人でも、その経験から学び、考え方や行動を変えることで、新しい未来を選べる可能性があります。
清田英輝氏が株式会社グリンクを通して伝えようとしているのは、今の自分だけを見て、これからの可能性まで決める必要はないということです。
会社の売上や事業の数だけでなく、そこで働く人やサービスを利用する人の未来を、少しずつ明るく広げていく。
清田英輝氏と株式会社グリンクの新しい挑戦は、これからも人との出会いをきっかけにしながら、さまざまな形へ成長していくでしょう。